作品は私という主体であり、物質という客体である。

それは私の鏡像なのだ。

何者であるか特定不可能なものとしてそれは存在し、

全ての人に解釈の余地を与えながら意味を奪う。

人が視線を向けたくなる、その行為の潜在性をあらわにしながら。

2019年8月

​​以下、作品に関する論評および展評

​山本伊等  "coreless"に関する書き下ろしテキストより抜粋

この作品は作者が世界と向き合う感触そのものであり、またそれにも関わらず絶えず人間がその歴史の中でうち棄ててきたものだ。名詞に溢れた資本主義社会で生きる人間はもはや、この作品のように完全にうち棄てられたもの、つまりかつては確実に人間と世界の間にあった親密さに対する言葉を持っていないからだ。

作品は何も訴えかけない。表現もしない。反抗もない。それは既存の言語/表現活動によって表せるものの範疇からひっそりとはみ出ているから。作者は何も創作していないし、意味の生成もない。あとはただ、身体と世界との気が遠くなるような闘争、つまり排泄があるだけだ。

2018年7月 

 ©Mayo Murakami All rights reserved.

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